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Baptism by Fireユニットカウンター紹介(その2) [ウォーゲーム]

 前回のドイツアフリカ軍団所属部隊に続いて、Baptism by Fireの枢軸軍ユニット紹介の第2弾として、今回は第10装甲師団の所属ユニットを見てみようと思います。

 第10装甲師団はドイツ軍機甲部隊としては比較的短命だったと思いますが、派手な戦歴に事欠かない師団でもあります。
 第10装甲師団は戦前の1939年の春にチェコのプラハで編成が開始されましたが、同年9月のポーランド侵攻時にはまだ司令部しか存在せず、北方軍集団の予備として第29歩兵師団やケンプ戦車分遣隊などから一部の部隊を借り受けるという臨時編成で作戦に参加しました。
 翌年のフランス侵攻ではきちんとした戦車師団となり、第1、第2装甲師団とともにグデーリアン将軍の第19軍団に配属されてアルデンヌを突破しスダン近郊などの戦闘に参加、その後2つあった戦車連隊のうち片方が、北アフリカへ送られる第15装甲師団に移籍され、師団の配下には第7戦車連隊だけが残りました。
 1941年のロシア侵攻では再びグデリアンの第2装甲集団に配属されてミンスク、スモレンスク、ヴィヤズマおよびモスクワ進撃に加わり、ルジェフ近郊でロシア軍の反撃を受けた後にフランスのアミアンへ補充と再編成に入りました。
 そしてチュニジアでの危機に伴い、同師団は新たに編成された第5装甲軍の中軸として北アフリカへと送られました。このとき戦車連隊の第3大隊としてティーガーIを装備する新編の第501重戦車大隊を配属されています。
 ちなみに当時フランスで休養中だった歴戦の装甲部隊にはもうひとつ第6装甲師団があって、こちらはスターリングラードへの救出作戦に送られました。
 ともあれ、第10装甲師団はこうしてエジプトから撤退してきたアフリカ軍団と合流してカセリーヌの戦いに臨むことになるのですが、生き別れの第8戦車連隊とここで再開するというのは、なんとも奇遇ですね。
BbF_10Pz.jpg
 最終的に第10装甲師団はここチュニジアで壊滅し、その後は再編成されることもなく解隊されました。よって本作に含まれるユニットはある意味、その最後の姿のひとつを示しているといえるかもしれません。
 ゲームでは師団は3つのカンプグルッペに分かれています。最初はルドルフ・ランク大佐率いるKGランクで、第10オートバイ大隊、第7戦車連隊第I大隊、第69および第86自動車化歩兵連隊のそれぞれ第I大隊がユニットカウンターになっています。このカンプグルッペの2個の歩兵大隊がそれぞれ別の連隊に所属するのがおかしく感じたのですが、どうもこのカンプグルッペは当時師団の予備戦力となっていたようです。
 2段目はおそらく当時第7戦車連隊長だったゲルハルト大佐(?)率いるKGゲルハルトで、戦車大隊および第10オートバイ大隊を除けば師団で唯一装甲ハーフトラックを装備する歩兵大隊、そして装甲工兵大隊で編成された主力打撃部隊です。このカンプグルッペは作戦中、別の戦域に一時的に派遣されたので、本作でも途中で退場と再登場を繰り返すことになります。
 そして最後は数は少ないながらもティーガー戦車を有するKGライマン。このカンプグルッペには1中隊のティーガーに加えて第90装甲猟兵大隊のマーダーIII対戦車自走砲も装備し、これらを援護する歩兵大隊も配属された、いわば防御の要ともいうべき編成となっています。

 本作では米軍の機甲師団も3つのコンバットコマンドに分かれているので、第10装甲師団の3個のカンプグルッペと並べると、両軍の当時の機甲師団を編成と戦力両面から比較できそうで興味深いです。


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