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Last Blitzkrieg(BCS)のユニットカウンター紹介(その25) [ウォーゲーム]

 前回、前々回とLast Blitzkriegにおける、12月22日に登場する米軍増援部隊を見てきましたが、この日には歩兵師団および機甲師団や旅団に加えて、独立歩兵連隊が2個登場します。
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 一つ目は第29歩兵連隊。これなんで独立部隊なのかとちょっと調べてみると、どうも1944年の秋に後方輸送部隊、いわゆる「レッドボールエクスプレス」の護衛という任務に就いていた部隊らしく、アルデンヌ攻勢の際にミューズ川の渡河点を警戒するために投入されたんだそうです。
 本作でもこれらの3ユニットはミューズ河畔の指定されたヘクスのいずれかに配置されると、そこから動くことはできません。基本的には防御しか行えないので装甲値もアサルトアローも描かれていません。
 師団には編成されていない同連隊ですが、29という番号の若さからして実は歴史の長い部隊で、19世紀にはすでに存在しており第1次大戦にも参加しているみたいです。こういうユニットが独立部隊だったりするという、画一的に見える米軍にも興味深い歴史があるんだなぁと改めて感じた次第です。
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 もう一つの独立部隊は第517空挺連隊です。アルデンヌ攻勢における米軍の空挺部隊というと第82および101空挺師団ですが、各師団を構成する空挺連隊は完全な固定編制ではなく、入れ替えも行われていたようです。
 第101師団は501、502、506連隊という編成がほぼ固定でしたが、第82師団のほうは、第504連隊はノルマンディーには参加せず、代わりに第507連隊が編入され、504連隊はマーケットガーデン作戦で師団に復帰、アルデンヌ攻勢にも参加しています。一方の第507連隊はノルマンディーの後は第17空挺師団に所属していました。
 第517空挺連隊は他の空挺部隊と同じトコア基地(カラヒーッ)で編成され、イタリア戦線で初陣を経験した後、ドラグーン作戦に加わり南フランスに上陸しました。ウィキペディアなどをみるとバルジの戦いの際には第82空挺師団に配属されたという記述もあります。
 本作戦にはさらに第509、および第551空挺大隊というさらに小規模な独立ユニットも投入され、本作でも実はユニットカウンターが存在します。これらの独立部隊は突出部の北側を支えるために逐次投入され、大きな損害を出した、とヒストリカルノートに書かれています。
 そして、独立大隊のほうは作戦後に解隊、人員は第82空挺師団に編入されたそうです。第517連隊が本作戦中に独立部隊だったのか、82師団の一部だったのかはちょっと結論が出ないのですが、もしかしたら作戦後に編入、という形だったのかも。
 ちなみ同連隊はアルデンヌ攻勢の後、ヴァーシティ作戦では第13空挺師団に配属され、その後は第17空挺師団に異動となり、太平洋での日本本土決戦に参加する予定になっていたそうです。
 なお、本作では米軍の空挺師団は機動力が低いことを反映して司令部の移動力が極端に低く設定されているのですが、この第517連隊だけは柔軟性を持たせたのか通常の移動力を有しています。
 また、増援としても地図端から登場するのではなく、ウェルボモンかマルメディー、または地図AまたはBの勝利ポイントヘクスのいずれかにいきなり登場します。

 というわけで、厖大な米軍の増援部隊も残り少なくなってきました。次回は12月24~26日に登場する2個師団プラス1個連隊を見ていこうと思います。

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