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Last Blitzkrieg(BCS)のユニットカウンター紹介(その16) [ウォーゲーム]

 1944年12月のドイツ軍によるアルデンヌ攻勢を扱ったBatallion Combat Series第1作、Last Blitzkriegのユニットカウンターを長々と紹介しておりまが、今回は前回のドイツ軍装甲師団に続き、同じく作戦開始後の増援部隊として登場するドイツ軍の独立装甲旅団を見ていこうと思います。

 独立装甲旅団というのは大戦後半の1944年ごろに、どういう意図でか編成されるようになった戦闘部隊で、戦車大隊1個と装甲擲弾兵連隊1個に砲兵など若干の支援兵力を加えた、装甲師団の1個戦闘団に近い戦闘力を有していました。
 しかし、こうした独立旅団を完全に新規に編成したため、部隊も指揮官も訓練不足、さまざまな既存部隊がかき集められた配下の各部隊は連携もうまく行えず、本来であれば装甲師団の補充に投入されるはずの装甲車両と搭乗員を無駄に浪費した、と批判されてしまいました。
 この独立装甲旅団が、どういう意図で創設されたのかはよく知りませんので、小規模の装甲部隊を増やして頭数を揃え、敵軍情報部を攪乱するためなのか、固定編成の戦闘団に似たものを用意しておいて、機動防御や火消し部隊として迅速機敏に活用しようとしたのかはわかりません。
 いずれにしても、部隊間の連携訓練も行い、戦闘経験も豊富な既存の装甲師団の戦力を低下させる要因になったことだけは確かだと思います。
 独立装甲旅団は1944年の秋にマーケット=ガーデン作戦中のフェーヘル近郊や、同時期のロレーヌ戦線のアラクールの戦いなどに投入され惨敗を喫したりしていますが、アルデンヌ攻勢にも3個の部隊が投入されました。
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 最初の1つはちょっと特殊な第150装甲旅団です。この部隊は「トロイの木馬」作戦と名づけられた欺瞞部隊で、英語をしゃべれる兵士を集め、これにアメリカ製の鹵獲車両や、米軍駆逐戦車に偽装したパンターやIII号突撃砲を与えて、米軍の振りをして敵戦線の後方に浸透する、という意図で作られた部隊でした。
 しかし、司令官のスコルツェニー大佐はこれは使い物にならないと早々に見切りをつけ、通常の装甲旅団として戦闘に参加したようです。
 M10駆逐戦車になりすましたパンターや、なんだかよくわからないとりあえず緑に塗って星を描いたIII壕突撃砲の写真が残されています。
 この部隊は史実では総兵力が2,500、装甲擲弾兵中隊だと降下猟兵大隊だと「第200戦隊」だのといった雑多な部隊の混成なのですが、ゲームではX、Y、Zの3個戦闘団のカウンターで表されています。
 各戦闘団はいずれも6ステップの自動車化歩兵ですが、XとYの2個は装甲値を有するデュアルユニットになっています。装甲車両は実質的には数量の鹵獲シャーマンと偽装パンターくらいしかいないので、これらはおそらくX戦闘団の数値に反映されていると思われます。パンターであれば射程2が普通ですが、車両数の少なさかそこは省略されているようです。
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 2番目に紹介するのは「総統護衛旅団」と呼ばれた装甲旅団です。バルジの戦いを扱ったあらゆるウォーゲームに貴重な序盤の増援兵力として登場するので、この部隊名をご存じの方は多いと思います。
 その名の通りヒトラーの身辺護衛部隊をベースにしているようですが、それならばやはりボディーガードが基になった武装SSのLAHや、陸軍の「大ドイツ」師団とはなにが違うのでしょうか。
 手元の資料では、この部隊のもとになった護衛部隊とは、1939年に編成された総統護衛大隊で、ロシア戦役開始後は東プロイセンのラステンブルクに配備され、戦闘経験を積むために前線に送られた、と書かれています。
 大隊は1944年5月に連隊となり、11月に旅団となったそうです。編成は戦車連隊1個、装甲擲弾兵連隊3個でしたが、うち1個は自転車装備、戦車連隊も数が足りず、第I大隊が上述のGD師団から借り受けたパンター大隊で、第II大隊は独立突撃砲旅団だったようです。余談ですが、昔ホビージャパン誌に連載されていた「パンツァーフォー」という小林源文さんのコミックでは、主人公がこの戦車第I大隊に所属してアルデンヌ攻勢に参加していました。
 ゲームにユニットカウンターは上記の編成を比較的忠実に再現しているようです。自転車装備の第828大隊のARが1なのは、おそらくこの部隊が他の歩兵大隊の補充プールとして用いられたことを再現しているのではないでしょうか。
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 続いて総統護衛旅団の姉妹部隊ともいうべき総統擲弾兵旅団です。本作では総統護衛旅団が12月18日、こちらの総統擲弾兵旅団は翌19日の増援として登場します。
 編成はほぼ同じですが、擲弾兵大隊の名称が片方がフュージリア、もう一方がグレナディアとされているのが、ナポレオンの親衛隊みたいでなんだか古風です。なお、こちらの自転車大隊の人員は郷土防衛隊の壮年兵士だったそうです。

 これまでプレーしてきたバルジを扱ったウォーゲームにおいて、個人的に総統護衛旅団は頻繁に触れた記憶がある一方、総統擲弾兵旅団は動かした記憶に乏しく、ほんとに1日違いで登場する部隊だったかな? と疑問に思ったのでちょっと調べてみました。

 1965年のAHの「Battle of the Bulge」では「護衛」は17日の増援として登場しますが「擲弾兵」はそもそも出てきません。
 改訂版である同社の1981年版同名作品では「護衛」は18日午前の増援、「擲弾兵」は22日午前の増援とけっこう間が空きます。
 SPIの「Battles for the Ardennes」では「護衛」の登場は19日午前、「擲弾兵」は22日午後とさらに遅くなります。
 同じSPIのカプセルゲーム「BULGE」でも「護衛」は19日、「擲弾兵」は22日の増援です。

 こうした作品に比較して本作での登場時期が早い理由はなんでしょう。ヒストリカルノートには具体的な記述がないので、これは新たな資料の発見などによって戦闘参加の時期に変更があったのか、それともシステム上、登場を早めると、戦闘参加のタイミングがちょうど史実どおりになるのか、調べてみる必要があるかもしれません。
 蛇足ですが、上のSPIの2ゲームでは「護衛」「擲弾兵」とも武装SSのカラーになっているのが興味深かったです。

 次回はやはり増援として登場する装甲擲弾兵師団を見ていこうと思います。

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