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Last Blitzkrieg(BCS)のユニットカウンター紹介(その14) [ウォーゲーム]

 前回までで初期配置の部隊を一通りみてきたLast Blitzkriegのユニットカウンターですが、今回から作戦開始後の地図上に登場する両軍の増援部隊を見ていこうと思います。
 増援部隊はどういう順番で並べるか、登場順がよいのか、兵科順がよいのかちょっと悩んだのですが、ある部隊が全部同時に登場するとは限りませんし、同一兵科の別部隊の比較もおもしろいと思ったため、兵科順に並べてみようと思います。
 登場順と登場位置については、改めて検討してみたいとは思っていますけれど。OCSのBeyond the Rhineにおけるアルデンヌ攻勢の状況設定地図を使って、どの師団がどこから増援部隊として移動してくるのかを表示してもおもしろいかもです。

 というわけで、まずはドイツ軍の装甲戦力の増援部隊を見てみます。
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 第2SS装甲師団「Das Reich」は、もともとはSS特務部隊という名称で編成された「最初の武装SS」ともいえる戦闘部隊です(1SS「LAH」は総統の身辺護衛連隊、3SSは強制収容所看守部隊がルーツです)。
 当初は増強自動車化歩兵部隊ともいうべき編成で、部隊名は「SS特務師団」さらに「Reich」と変わっていったフランス戦>バルカン作戦>バルバロッサ作戦でもおおむね同じでした。フランス戦ではオランダ方面作戦および南仏侵攻に参加、バルバロッサ作戦では中央軍集団の第2装甲集団に所属し、スモレンスク会戦やモスクワ侵攻といった激戦を経験し、その後に戦車大隊を加えて装甲擲弾兵師団、そして装甲師団へと変わっていきました。
 この師団の戦歴を全部列挙すると、かなりの分量になってしまうのですが、その後は1943年冬のハリコフ、夏のクルスク、秋~冬のウクライナと連戦し、その後南フランスで再編成中にノルマンディーの戦いが始まると、ここでも激戦を演じ、バルジの戦いへと至るわけです。
 武装SSの装甲師団は自動車化歩兵大隊が6個あるのが特徴ですが(陸軍の装甲師団は4個大隊)、これはいわば自動車化歩兵師団(当時は装甲擲弾兵師団)と同じ大隊数で、つまりSS装甲師団は陸軍の装甲師団なみの戦車数と、装甲擲弾兵師団なみの自動車化歩兵を有していたということになるかもしれません。
 さらにこの頃になると、ドイツ軍は歩兵師団も6~7個大隊編成に縮小されてしまうので、SS装甲師団は歩兵戦力でも随一の戦闘力を有していたということになります。
 作戦開始時、この師団の戦力は80%程度だったそうで、戦車連隊はパンター48両、IV号戦車とIII号突撃砲各28両装備らしいです。また、戦車猟兵大隊はIV号駆逐戦車20両があったとされていて、カウンターを見ると、戦車大隊はそれぞれ5ステップ、戦車猟兵は2ステップなので、1ステップはだいたい10両程度の戦車を表しているのかなぁ、と想像できます。
 なお、自動車化歩兵はすべて6ステップと完全戦力なのですが、これはプレーヤーはSSを真っ先に補充するだろう、という想定ですでに補充済み、ということなんだそうです。ただし、一部の部隊は質的に不安があったらしく、ARに反映されています。
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 こちらは第2SSとともに第2SS装甲軍団を構成する第9SS装甲師団です。バルジの戦いの3ヶ月前、1944年9月中旬にアーネム付近で英第1空挺師団と激戦を演じた部隊として有名です。
 そのときの損害はかなり激しかったようで、アルデンヌ攻勢時に再装備は完了していなかったようです。装甲兵員輸送車が足りないため、所属の自動車化歩兵はすべてトラック装備とされています。これは上の第2SSにもいえることで、一部自転車を装備しているユニットがあります。
 第9SSの捜索大隊はアーネムで壊滅的打撃をうけましたが、ここではほぼ完全戦力に再編成されています。どうもドイツ軍では偵察部隊はわりと優先的に補充と再装備を行っていたような気もしますが、どうなんでしょうか。また、車両は少ないかもですが、歩兵部隊の質はまずまず高いといえるかもですね。
 こちらの師団の戦車は第I大隊がパンター35、突撃砲28、第II大隊がIV号39、突撃砲28だったそうです。lこの点はユニットの数値にも反映されていて、第I、第II各大隊のARが同じとなっています(射程は違う)。
 
 アルデンヌのドイツ軍戦車連隊は、第I大隊に師団の連隊の戦車を集中して、第II大隊は独立部隊を編入するという方法と、第II大隊にだけ突撃砲などを補充する方法、そして両方の大隊に突撃砲を補充する方法があったようで、この師団は3つめのやり方で編成されていました。

 この2個師団は、計画では第ISS装甲軍団が開いた突破口へなだれ込んでムーズ川を目指す戦力とされていたようですが、実際には第6SS装甲軍の突破はあまりうまくいかず、これらの部隊はより南のサン・ヴィトやヴィールサルム、そしてバストーニュ方面へと投入されることになったようです。

Last Blitzkrieg(BCS)のユニットカウンター紹介(その13) [ウォーゲーム]

 前回の第14機甲騎兵群に続き、Last Blitzkriegの米軍初期配置部隊の最後となるのが、第9機甲師団です。
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 第二次世界大戦において米軍は16個の機甲師団を編成し、バルジの戦いではそのうちの半数に相当する第2、第3、第4、第6、第7、第9、第10、第11の8個師団が参加しました。これを見ると「アルデンヌ攻勢はドイツ軍が装甲兵力を結集した一大作戦」といいますが、実際に装甲兵力を集結させていたのは米軍の方ではないかという気さえしてきます。
 米軍の機甲師団は1942年型と1943年型という2種類の編成があり、1942年型の編成を採っていたのは第1~3機甲師団で、それ以外の師団は戦車大隊と歩兵大隊を3個ずつ有する1943年型とされています。各3個の戦車と歩兵大隊はそれぞれ1個ずつで諸兵科連合の「コンバットコマンド」を3個(CCA、CCB、CCR)編成するというのが基本だったようです。
 と、こうした各師団共通の編成があるのは確かで、実は個人的にドイツ軍と比較して編成表を見るのが退屈という浅はかなイメージを抱いていたのですが、実際の米軍機甲師団は、師団毎にかなり異なる装備や編成を採っていたらしいです。
 この第9機甲師団はドイツ軍の攻勢開始時に作戦戦区に配備されていた唯一の機甲師団で、実戦未経験の新米師団でした。師団の各部隊はまとまってではなく、CCAは第28歩兵師団と第4歩兵師団の間のボーフォール地区、CCBはサン・ヴィト付近、そしてCCRはその間に位置するクレルヴォー北方のトロワヴィエージュ周辺とバラバラに配備されていました。
 ゲームではサン・ヴィトCCBだけは初期配置ではなく、第1ターンの任意の連合軍活動化セグメントに、サン・ヴィトの2ヘクス以内にぼこっと登場します。これは正面のドイツ軍がもたもたしている間に集結できたということを再現しているのかも。
 個々のユニットを見てみると、各CCともなかなか個性的な編成を有していますが、さらに気になるのがその装甲値です。実は本作における米軍戦車大隊はその多くが装甲値2とされています。ところが第9機甲師団は3個ある戦車大隊がすべて装甲値3になっています。
 これは貼付のヒストリカルノートによると、比較的編成が新しかった同師団は、装備戦車のほとんどが長砲身76.2mm砲装備の新型シャーマンだったらしく、その火力を反映しているのだそうです。
 「火力を反映しているのに装甲値がプラス?」と思うかもしれませんが、本作の「装甲値」という語は装甲の厚さだけではなく「装甲部隊としての統合的な戦闘力の値」という意味で使われています。そして主砲の口径や初速、戦闘室や砲塔の装甲厚のみならず、大隊毎の装備車両数やサポートの有無、練度なども加味されているとしています。
 さて、機甲師団は3個のCCを編成するのですが、各CCの内部でも「タスクフォース(TF)」と呼ばれる諸兵科連合チームを形成し、戦闘はこうした単位で行われていたようです。
 ユニットカウンターを見ると、CCRは大隊長の名前がついた3個のTFで編成されていますが、CCAとCCBは混成ユニットではありません。史実では両CCは諸兵科連合チームを当初組んでいなかったらしく、大損害を受けた後にチーム編成を行った、とヒストリカルノートには記載されています。
 本作では、米軍戦車大隊は歩兵師団に配属された独立大隊はサポート状態とされることが多いのですが、機甲師団所属の大隊は集結状態で用いられます。このあたり、特別ルールを使わずに運用の違いを表現しているんだな、と感じました。

 米軍の初期配置である歩兵5個師団、機甲1個師団、機甲騎兵1個群を見てきました。初期配置には他に若干の独立工兵や歩兵大隊がありますが、これは省略。
 次回以降、はドイツ、アメリカ両陣営の増援部隊もちらっと見ていこうかな、と思っています。

 それにしても、アルデンヌ攻勢はドイツ軍側の開始時戦力が歩兵12個、装甲5個師団で、対する米軍が歩兵5個、機甲1.5個師団、師団数の比率は17:6,5で、ウォーゲーム的には3:1が立ってないんだな、と思った次第です。各師団の戦力を考えれば実質的な戦力比は「森林地帯の2:1」という程度だったのかもしれません。

Last Blitzkrieg(BCS)のユニットカウンター紹介(その12) [ウォーゲーム]

 Last Blitzkrieg(OCS#1)の米軍初期配置ユニット第3回です。
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 本作は基本的には部隊は師団毎に編成されますが、ドイツ軍のパイパーKGや装甲旅団、米軍の第28歩兵師団の各連隊のように、一部、師団に満たない規模の部隊が登場します。
 第14機甲騎兵偵察群もそのひとつで、部隊規模としては連隊レベルです。1944年当時の米軍機甲騎兵偵察群は2個大隊編成で、各大隊はM8グレイハウンド装輪装甲車を装備する偵察中隊3個とM5スチュワート戦車装備の軽戦車中隊1個、および火力支援のM8突撃砲中隊1個を有していたようです。
 本作でのユニットカウンターの構成はちょっと変則的で、第1大隊のA、C中隊はそのままユニットになっていますが、EF中隊はまとめて1個のTFに、そして第32騎兵大隊は抱いた規模のまま1ユニットとなっています。
 第14機甲騎兵群を構成する2個騎兵大隊はそれぞれ第18騎兵大隊と第32騎兵大隊で、バルジの戦いの前までは前者が第2歩兵師団、後者は第83歩兵師団に分遣されていました。
 その後、攻勢開始4日前の12月12日に機甲騎兵群として再集結し、第V軍団と第VIII軍団の間隙部を警戒するためにロスハイム渓谷付近に配備されたそうです。
 その後、ドイツ軍の攻撃に際しては第7機甲師団の配下に入り、サン・ヴィト周辺の防御に従事した後、12月23日に後方へ下げられ、2日間の休養と再編成ののち、第XVIII空挺軍団に所属して再び作戦に参加しました(HJ社のThe Last Gambleに付属している冊子は、米軍の編成が1月1日時点のものなので、同部隊は空挺軍団所属とされています)。
 初期配置を見ると、第18大隊所属のA、C中隊はロスハイム近郊の最前線に、司令部とEF/18はウール川沿いのマンダーフェルト、第32大隊はその数キロ西方のウール川渡河点を防御していて、前方段列は後方のアンブレーブに配置を指定されています。
 デザイナーズノートによると、第32騎兵大隊のこの配置は史実よりも前線に近いらしく、実際には12月16日の時点で、より後方のVielsalm付近にいたようです。この変更の理由は、史実どおりの配置にするとテストプレーにおいて米軍プレーヤーがこの部隊を投入せずに温存してしまい、その結果ロスハイムの間隙がかえって酷いことになるため、あえて史実に近い展開になるよう強制的に前方配置にした、とのことだそうです。

 なお、カウンターの数値は4個のユニットはすべて装甲値1のデュアルユニットで、ARも4、移動サイドのMAが16と共通です。違うのは各ユニットのステップ数、および軽戦車TFだけが重装甲ユニットでありなおかつ再建不可なことです。

 なお、バルジの戦いにはこの第14機甲騎兵群のほかに、第4、第6、第102の各機甲騎兵群が参加しました。第4と第6は増援部隊として12月22、24日にそれぞれ登場します。一方、第102機甲騎兵群はモンシャウに配備されていたため、多くのバルジゲームには登場しますが、本作はモンシャウが盤外に位置するため第102機甲騎兵群も省略されているようです。

 第14機甲騎兵群の紹介がちょっと長くなったので、残り1個となる第9機甲師団は次回に。

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